ヲタクの戯言

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アイドルの卒業2

今日も1人推しが卒業をした。


熱闘!風男塾net 2020年7月17日宙卒業回

 

それも先日書いたグループから。

なので続編とでもいいましょうか。

 

norinorinoritama.hatenablog.com

 

 

思い返せば浦正推しだったので、加入当時の時の熱闘も見てたし、卒公も行ってたのでメンカラ発表も見てたな…

なんて今日の配信を見ながら思い出した。

2代目緑かぁ、狂平っぽい歌うま癒し系なんだなぁ、と思ったらまあそうなんだけど想像以上にぶっ飛んでる性格の子で(めちゃくちゃ褒めてる)

ライブで目を引く歌い方で、気づけば推しになってました。

 

本現場にしなくなってからは年に1,2回しか行ってないので”あの時のこれが…”と多く語れないのだが、やっぱりミュージカル「Believe~遙かなるプロキオン~」が一番印象深いな。

 

今回も割と突然の卒業で、心の準備も出来ず、直接パフォーマンスを見ることも出来ず、卒公ももっての外。情勢が情勢なのでこのタイミングになってしまったと本人が言っているので望むことも出来ないけれど。

(と、これを書きながら勝つんだ!が流れてきて、そらさくの初パフォーマンスは勝つんだ!だったなあとしみじみ。)

 

もう二度と草歌部宙として会うことも、歌声を聞くことも出来ないのがとても悔しい。やりたかったこととしていろいろ残してくれたので、存在としては色濃く残るだろうけれど。それはもう残像であって、実物ではないし、そらさくの同期の絡みも見れないのは寂しいなあ。

 

 

また、今回の卒業の発表の時に気に障る点があった。

健水は「卒業することになりました。」と、

爽太郎は「卒業することになりました。」と、

大弥は「卒業させていただきます。」と、

そして今回の宙は「卒業させて頂くことになりました。」と

綴る卒業発表ブログを書いていた。

 

卒業するまで1年の猶予がある健水の書き方はまあわかるが、当日(言ってみれば過去)及び数日後の卒業に対してのこの文脈はちょっと違くないか?と思ってしまった。人並の国語力がない当方が何を言っているのかと思うがそこは置いといて。

そもそも”卒業”は”させていただく”ものなのだろうか。風男塾との距離を感じてしまう表現だなと感じたが、何といっても風男塾は卒業の概念が特殊なアイドルなのでそのことに対する表現も難しいのだろう。書き方について深追いする気は無いし、したところで推しが卒業することに変わりはない。

 

 

当方「女の子3,4人分のヲタク人生を歩んでいる」と勝手に思って生きてる。

ジャニーズデビュー組も、ジュニアも、地下も、2次元も…と幅広くアイドルヲタクをしている訳で、過去にはスタダもハマったし、過去と現在の狭間で風男塾を追ってて(まあ、アイドル以外でもオタクしてるので3,4人分と表現した)とアイドルに生かされている。人生の辛い時にはアイドルという存在に助けられていた。

そんな当方が言うには酷なことかもしれないがアイドルはそうやって消費されているのだと痛感する。いろんな界隈に顔を出しているのでどこか申し訳ない気持ちになるときがあるがヲタクという消費者とはそういうものなんだろう。

自分の人生を救ってくれたり、楽しませてくれたり、夢を抱いたり、目標ができたり、幸せに生きることができるのは偶像としてアイドルの存在があるからだろう。

 

”卒業=最期”である風男塾だからこそ、活動している姿は偶像中の偶像であり、風男塾であった姿は幻となって消えていくのだろう。なんて儚いアイドル期間だったのだろうか。

 

キミのものがたりを歌ってしんみりした後にパイ投げで〆るという今までで一番よくわからない卒業でしたが、宙だからかとどこか納得してしまうのは推しに甘いからだろうか。今まで本当にお疲れ様。お空の宙としてこれからも風男塾のことを思ってほしいなと思います。草歌部宙という3年半の時間を生きてくれてありがとう。

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